お湯を沸かす映画
勝手に映画1000本ノック - 2 / 1000
「湯を沸かすほどの熱い愛」
鼻詰まりすぎてある意味過呼吸なんですけど、どゆことですか?
病、というのは
突然ふりそそぐもの。
それなのに、それまでの生き方を全否定してしまえるほどの威力を持っているなと感じます。
誰か人を騙してきたわけでも
犯罪を犯したわけでもないのに
ただ、毎日を生きてきただけなのに
苦しんで死んでいく人が多いのは、なんでだろう。
当たり前なんだけど、「人はいつか死ぬ」ということをわりかし意識してきたよーなね、気がするのね。
なぜなら、子供の頃ものすごく泣き虫だった私を見かねた母が
「そんなに泣いたらお母さんが死んだ時に流す涙がなくなっちゃうよ」
と言って宥めていたから。
んなわけあるかいと思いながらも、そうか、お母さんもいつかは死んでしまうんだということを、幼い頃から意識していたんだと思います。
まだわたしは両親ともに元気に過ごしているので、あくまで子供の目線で見たけれど、色々な苦悩を乗り越えた女性が、ステージ4の末期癌だと診断されるところからはじまるこの映画。
つくづく、人って多面体で
明るく強い人が本当にそういう人かというと、ちがうと思う。
そういう面がある、というだけ。
どの面を見せていくのかということだけだと思うのですね。でも、その面がすべてだと周りに思われれば、そういう人として記憶に残る。(抽象的すぎてわかりにくいね)
人から見てかわいそうだなと思われることがあったとして、それでもその人が明るく振る舞うのであれば、辛かった出来事は通過点でしかなくて、そのすべてが今を作っているからしょうがない。(え、えーらーそーうー)
人を受け入れるということは時に難しかったりするけど、自分を受け入れることもなかなか難しいよねー。
とゆーか、自分を受け入れるということは、誰かに受け入れられて初めて「ま、悪くなかったんだな」ってなれる気がする。
ぐるぐるぐるぐる。
認め合いサイクル。(ダサい)
その輪っかがどんどん広がっていくと、いいよね。
真面目な人が必ずしも報われる世界だとは思わない。何世紀も掲げ続ける世界平和がほんとに実現できるのかもわかんない。
でも、かの偉人も言ったように、家に帰って大事な人を抱きしめること、それができれば、わたしの世界は平和なのだ。
とは言え、
よしっ目があった瞬間にハグしよう!と気合い入れて帰っても、ものすごく難しいのだけどね。笑
「なんだよ気持ち悪いな」と言われても、「いつもありがとう」と言おう。
アメリカ人じゃないから、
「DADDY,MOMMY,I love you!!!」とはさらっと言えないけど、「月が綺麗だね」くらいは言ってみよう。
(注:月が綺麗ですね=夏目漱石によるI love youの訳)(奥ゆかしすぎるわ)(てゆーかそれ愛の告白だわ)
どれだけやっても、きっともっとできたと、後悔してしまうのだ。
今日だめだったから
また来週チャレンジしよう。
なんて思ってもね。
使い古された言葉しか使えないけど、いつまでもいつまでも、伝えられるわけではないからね。
そんなことを思えた映画でした。(嗚咽)
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