2500文字の自己紹介
突然ですが、自己紹介します。
1987年 千葉県生まれ
父は横浜生まれ、梨農園を営む農家の7人兄弟の末っ子
母は福岡生まれ、3人姉妹の真ん中。
東京大阪横浜と転校を繰り返しながら、高校生の時に父と出会います。
3人兄妹の末っ子、上2人とは6歳と8歳離れて生まれたわたしは自慢じゃないですが
そりゃぁ甘やかされて育ち(自覚あり)
いっちょまえに反抗期を迎えた際には
「こんなに愛情かけて育てたのに、目の前にいるこの子は一体誰の子なのかわからない」
と母を困惑させるほど、なかなかなわからんちんでございました。
わたしの家族をざっくり話すと、ものすごく人のために動いてしまう人たちで、見ていてたまに損してない?って思うこともあるのですが、誰かを出し抜いたり踏み台にするくらいならまーいっか。てきなテンションで過ごす人たちです。
でもとても人に愛されて必要とされる人たちなので、わたしにとってはとても自慢の家族。
とにかくミーハーで事あるごとに流行りの職業につきたいと夢をコロコロ変えていたわたしは、
美容師
ヘアメイクアップアーティスト
スタイリスト
ブライダルプランナー
とさまざまな夢を語り、最終的に
1軒家の会場で1日1組限定
プランナーからオーダーメイドのドレス制作、当日のヘアメイクまで
全て一人でやるオーダーメイドサロンをつくる
という夢に集約。
(堂々たるフリーランス宣言)
おまえ腕何本あんのよみたいなバカげた夢でも、「素敵な夢だね、さよだったら出来る!」と応援してくれました。
とにかく専門職に就きたかったので高校を出たら専門に行く、というわたしに家族は反対。(むしろ高校から専門にいこうとしてた)
「一般的な会社員のあなたたちとは目指すものが違う」と、自分の子供だったら引っ叩きたくなるようなセリフを吐く世間知らずなわたしに、家族は「大学だけは出ておいた方がいい」とありがたい言葉をくれました。
何を言ってもテコでも動かないわたしを大学進学へと決心させたのは、兄のこの一言。
「大学行ったらオレンジデイズみたいな日々を送れるよ」
(懐かしき妻夫木くんと柴咲コウのドラマ)
それはいいな
しゃーねーな行くか!と受験勉強に本腰を入れ(うそでしょ)、それでも専門技術を学びたかったわたしは、「ご近所物語」であこがれた服飾専門の女子大に進学を決めました。(オレンジデイズは)
それまで勉強はそこそこできたし、そこそこ器用だと自負していたわたしは、大学でもそれなりに出来ちゃうのだろうと自信満々だったのですが、入学早々すでに技術やセンスを持ちまくっている同じ歳の子たちに圧倒され、謎に伸びていたハナは...ポキン。笑
悔しい。
わたしだって、、!!
とならないわたしは(向上心なし)
そこそこ課題をやりながらバイトをして友達と遊ぶ、そんなふつうの大学生活を送りました。
卒論はベタにウエディングドレスを作り、さぁ卒業と思っていたら1単位足らずに半年留年説浮上。
親に伝えた時は、
「もう元気に生きててくれたらいいや」
となかなかのお言葉をいただきました。
卒業式には参加したものの、卒業証書なし。(写真の時だけカバーを持たされ、撮り終わったら没収。笑)
追加課題でなんとか4月末に卒業という行き当たりばったりすぎる学生生活は幕を閉じたのでした。
もちろん就職なんぞ出来ていないので、しばらくはバイトをしては旅行に行くという日々を過ごし、みんなより1年遅れてアパレルブランドの販売員にアルバイトとして入社。
その後販売員・本店の店長(だったらしい)から本社に上がり、営業という肩書きのもとECやら生産管理やら店舗とのやりとりやら卸やらの仕事をびゃーっとしていました。
本社での仕事に少し慣れてきた頃。
服が作りたい想いを抑えきれず、今思えば本当につたなすぎるデザイン画を持って上司に直談判。
この時の上司がいまも一緒に働かせてもらっているボスなのですが、「じゃぁ服を作れるように、その機会を作るね」とその場で約束してくれて、営業の仕事のかたわら毎シーズン1〜2型コレクションに並ぶ商品作りに参加させてくれたのでした。
自分が作ったスカートを履いた女の子を、新宿渋谷でもなく、地元の駅で見かけた時はめちゃくちゃ嬉しかった。
新ブランドの設立やら、いろいろな変化が多かった時期を過ごし、5年間務めたブランドは2016年にクローズ。
ここぞとばかりに3ヶ月間ぶわーーっと5箇所旅行に行き、現在の会社に入社しました。
いまのわたしの肩書きはプランナー / コピーライター
COMMUNICATION DESIGN STUDIOを謳う
制作会社にて働いております。
クライアントさんの「こんなことしたい」「こんなこと伝えたい」に対して、クリエイティブの力を使って実現する、というお仕事。
その中でもわたしは企画や言葉を使う部分を担当しています。あと動画も作ったりします。
アパレル時代の上司が1人で立ち上げた会社に入れてもらったのですが、最初は本当に何もできなかったのでとにかく彼のやることを追って、企画書を作るのにイラレのショートカットキーを一つ一つ覚えていくような日々でした。(さいきんパワポ使えるようになった。遅)
わたしはたぶん、好きな人というか信頼できる人と一緒ならなにをやっても楽しい、という性格なので、180度違う内容の仕事が来ようがその分野1ミリも知らん。みたいな仕事が来ようが全部楽しいほうです。
暇を与えるとだらける上に余計なことを考え出すので、いや無理だろと文句言えるくらいに仕事を詰めてもらった方がいいタイプなのだと思います。それはそれで追い詰められて死にそうな顔しながら作業しますが、仕事後にはいい顔してお酒飲みます。
自信がなくなれば穴の奥底をさらに掘って潜り込もうとするし、「ありがとう」と言われればひゃっほーー!とどこまでも調子にのる。(マリオか)
ハンドリングが恐ろしくめんどくさいであろうわたしを使ってくれているボスにはほんとに感謝しかないです。
2018年頭からプロデューサーとデザイナーが加わり、4人になった会社でやんややんやと働く日々。
友達と一緒に暮らしているので、31歳にもなるのにいまだに学生みたいな毎日を送っています。
字面にすると、この人大丈夫?感が‥笑
せっかくなので質疑応答で締めたいと思います。(え)
Q. タイムマシンがあったらどこから人生をやり直しますか?
A. どこ戻っても面倒くさいので、
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