Claude Monet
ー仕事に疲れ切った神経は、そこで淀んだ水に佇む風景に癒されるであろう。そしてこの部屋は、ここで過ごす者にとって花咲く水槽の真ん中で、安らかな瞑想を行うための隠れ家となるであろう。ー
クロード・モネが彼の晩年の大作「睡蓮」をパリのオランジュリー美術館に寄贈すると決めたときに語った言葉のようです。
小学生の頃、兄の影響で油絵を習っていたのですが、「さよちゃんは絵が上手だから」と母におだてられのこのこと通っていただけで、特に美術が好きなわけではありませんでした。
なんせ模写が嫌い。パイプ椅子にずーっと座ってるの嫌い。教室に行ってそれっぽく木炭を手に取り、消しゴム用の食パンをつまみ食いしながら時間が過ぎるのを待つ、そんな日々でした。
休憩時間に出るクリープいっぱいのコーヒーがとてもすきだった。
なんというか、同じものをじっと見続けて全く同じ構図で正確にキャンバスに描くということの意味がわからんというか(向いてなさ過ぎる)、じっくりじっくり物事を進めるのが苦手で、ぱっとを見て理解したようにだーーーっと進めてしまうので、「ちゃんと見て描いたの?」と怒られる事もしばしば。
(あれ、なんか今も同じような事で怒られてる気がしてきた…)
そんなわたしが昨年、パリに行った時に出会った冒頭の「睡蓮」。
太陽光が差し込む真っ白な空間、360度囲まれるように睡蓮が展示してあるのですが、その前に立った時に、涙が止まらなくなってしまったんですね。
(背筋がピーン)
あまりに美しい色を使う人で、自分の想うままの場所を生きている間に作れた人だから、さぞ認められて順調な人生を歩んだ人なのだと思っていました。
(彼が晩年を過ごしたジヴェルニー村にも行きました)
最愛の人を若くして失い、その死にぎわまでも描いた人。
お金がなく、100フランでもよいから、とパトロンに手紙を送り、家族に質素な生活を促してでも、一瞬の光を完璧に写すために描き続けた人。
一秒でも時間が進めば、光も景色も変わるという事を私たちはなんとなく知っているけど、その全ての光を描きたくて苦悩した人。
一生懸命描いたものを批判されて、それでも続けられるのは、周りの言葉よりも自分の欲望が強かったからなのか。悔しいという気持ちは何十年も続ける原動力になるのか。うーん。
晩年、白内障を患い、拒み続けるも2度受けることになる手術は成功には至らず。
声を失えば歌手は仕事を諦めるのに、色が見えなくなった画家はそれでも描くのを諦められない。
明らかに濁り、暗い色。
それでも、かすかに見える絵の具の文字や品番を頼りにパレットの同じ場所に置き、描き続けたのだとか。
夏の匂いとか冬が来る匂いとか、そういうのを感じたりはするけど、この人には目で見えなくても心で風景が見えたのだろうなー
(※以上、すべてわたしの主観です。)
今日、横浜美術館で行われていた「モネ それからの100年」を見にいきました。
彼がこの景色を見たら、どういう風に表現するのかなー。
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